向島園の「一本仕立て」栽培

生命力あふれる茶樹
「向島園の一本仕立て」




先代園主が完全無農薬栽培(無農薬・無化学肥料)でお茶の栽培をするため、試行錯誤の結果生み出された栽培方法が「一本仕立て」です。 昭和57年、従来の農法に疑問を感じ、先代園主が自然との共存を考えお茶の有機栽培に取り組み始めました。先代は農家の家に育ち、必ず家業を継ぐという「レール」に敷かれて生きているのが嫌だったそうです。でもある日ふと、「自分も、生きたくないレールをお茶に敷いているのではないか」と思ったのです。農薬、化学肥料を使い、挿し木により生かすという栽培は、本来のお茶が望んでいるものではない、ということに氣づいたのがきっかけでした。
しかし、今まで使用していた農薬や化学肥料を断ち切ると、お茶の樹の樹勢は落ち、収穫が困難な状況が何年か続きました。その頃は、お茶は農薬なくして栽培できないといわれており、どうしたら有機栽培でお茶の栽培ができるか試行錯誤の日々でした。 歴史をたどってみると、お茶は平安初期(815年)中国から仙薬として日本に伝わりました。農薬や化学肥料が日本で多様に使用し始められたのは戦後からなので、戦前は無農薬でお茶の栽培ができていたことに氣づき、その栽培方法を見習えば、無農薬でもお茶の栽培ができるのではないか、と考えました。

昔は、お茶の樹は実生で増やしていましたが、お茶は自家受粉しないため同じ品種を育てようとすると挿し木でしか育てられません。しかし、挿し木栽培にするということは、クローン栽培をしているということに近く、実で植えた茶樹と挿し木で植えた茶樹を比較すると、特に成園になってから生命力に大きな差が生じました。 また、植えてから収穫まで7年という長い年月を要するため、できるだけ苗を密植することが戦後の茶の栽培方法として一般的でした。しかし、苗を密植すると根張りが弱くなったり、物理的寛容の悪化(風通し悪化など)によるストレスがかかり、これもまた生命力低下につながります。生命力低下が引き起こすものは、病氣や不調です。だから農薬、化学肥料が必要だったのです。









農薬・化学肥料を使用しなくとも、病氣知らずの生命力ある茶樹を育てるのなら、戦前の栽培方法にのっとり、実生で疎植すること、そして大きく育つまで剪定しないことがベストです。(在来茶)
しかしながら、お茶の品種を一区画の畑で一定に保つには挿し木で増やす以外方法はないことに変わりありません。その為、先代園主は、挿し木栽培をしたとしても実生に出来るだけ近い栽培方法を取ろうと考え、挿し木を極限の小ささである一節一葉から始め、疎植にして太い幹を作る一本仕立て栽培を考案しました。 育苗施設で育てるのではなく、自然の畑の真ん中に葉っぱ一枚挿していくので、途中で強い風雨に見舞われれば振り出しに戻り、鳥に葉っぱをついばまれれば、また振出しに戻る。それを何度も繰り返し、15年の歳月を経て、ようやく一本仕立ての栽培方法を確立しました。





一本仕立て栽培された茶樹は、通常栽培の茶樹と比べ幹の太さは10倍以上あり、根も4倍以上伸びます。よって、非常に生命力あふれた茶樹へと成長して、本来のお茶の力を発揮してくれます。栄養価や抗酸化力も高く、中国で金不換と言われ、弘法大使には養生の仙薬と言われたお茶のパワーを最大限に引き出して、お茶本来の生き方を尊重する栽培方法。それが「一本仕立て」栽培です。